「ああ、今日も舟を沈めなかった。
水難事故を起こさないだなんて、
私はなんて偉いんだろう。
しかし、はたして今の私は
舟幽霊として正しいのかな?」
濡れた衣服を身に纏い、錨を背にして水面に浮かぶは舟幽霊。
村紗水蜜という名を持つ一介の妖怪は、底のない柄杓をそっと咥える。
「舟を沈める感覚が、人が溺れる快感が、
ああ、ああ、忘れることができないなあ」
川を行き交う船に悪さをし、仄暗い水の底へと沈めることが存在意義の舟幽霊。
しかし彼女は約束した。自分を救い、導いてくれた一人の僧侶と。
人を襲うこと無かれ。さすれば妖であるあなたにも道が開かれん。
「ちょっとぐらい、船底に穴を空けるぐらいなら
問題ないんじゃないかなぁ。
私が沈める訳じゃないし。
仲間を増やすためだから、
悪さとも言えないんじゃない?
ああそうさ、何も間違っちゃあいない。
だって私は妖怪で、聖人なんかじゃないんだから」
ちゃぷちゃぷと、水面を揺らして言い訳を並べる村紗。
その内妖怪としての本能に負け、彼女はついに錨を手に取った。
「私は妖怪、舟幽霊。
舟を沈めることが生き甲斐さ。
霊に慣れ果てた我が恩讐、
水に乗せて思う存分お見舞いしてくれようぞ」