藍と橙が寝静まった夜。ふたりを起こさないよう、紫は静かに屋根へと上がっていた。
その傍らには瓢箪ひょうたんと杯。ひとり春の夜風を浴びながら、晩酌に耽る算段だ。
「たまにはこうして、黄昏たそがれてみるのも
悪くないかも? ふふふ……」
誰に言うわけでもなく、呟く。そして杯に酒を注いで、ゆっくりと口に含んだ。
「秘蔵の逸品を取り出してきたかいがあったわ。
風も心地よいし……いい肴ね」
屋根から見下ろす、夜の幻想郷は壮観だ。
この景色も、永年に渡って紫が形作ってきたもの、成果のひとつだ。
その事実を知るものは、この幻想郷に決して多くはない。
だがこんな風の気持ちいい夜は、こうして酒を嗜たしなみながら、人知れず己の心の中でのみ、誇るのだ。
「ふふっ……珍しく酔いが
回ってきちゃったかしら?
目の前の美しさに、少し、浮かれているのかも」
そのとき、どこからか飛んできた桜の花びらが、杯の中にひらりと舞い落ちた。
「あら、風情がわかっているじゃない。この桜」
紫は小さく、杯に口をつける。
風味が口の中に広がる。華やかで満ち足りた、春の味がした。