「私と一緒に逃げましょうよ」
「嫌だね」
正邪の返答に、ぬえは「ああん」と情けない声をあげた。
二人がいる場所は妖怪の山の中腹。年越しの夜だがお祝いのムードはない。
上空では、年末にも関わらず多数の天狗が飛び回り、
必死の形相で二人の姿を探していた。
しばらく前、山頂にあるという天狗の秘宝の噂を聞いた正邪は、
「中身は知らないが、隠されているなら暴いてやろう」という軽い気持ちで山を登った。
しかし、お尋ね者の正邪を待っていたのは、天狗による組織的、戦術的な包囲網だった。
木々の少ない山頂付近で、急に包囲されて逃げ場を失った正邪は窮地に陥ったが……。
「せっかく私が助けてあげたのにぃ。
あんたピンチだったじゃないの」
窮地に陥っていた正邪を助けたぬえが、ぶつくさと不満の声をあげる。
「は、頼んだ覚えはねーよ。
そんなに役に立ちたいなら
勝手に出てって囮になれ」
そう言って背を向けて行ってしまう正邪に、ぬえは拗ねた様子で頬を膨らませた。
まだ包囲も抜けてないというのに、ずいぶんな物言いだ。
「いやよ、目立ちたくないもの。はーあ、
これなら命蓮寺で年越しすればよかったわ」
ぬえが正邪を助けたのには、理由がある。
世間から爪弾きにされ、さまざまな噂を流される正邪は、
『妖怪でも手に負えない化物』として、人間達に噂が伝わりつつある。
『正体不明』を糧とするぬえにとって、こうした噂の元になる正邪はいたほうが良い。
もっとも、助けて邪険にされるとは思わなかったが……。
「ううん……。でも、
アマノジャクってそういうものか」
天邪鬼が素直になったら、それはもう天邪鬼という妖怪ではない。
妖怪としての矜持を正邪は守り続けているのだろうか。ぬえの口元は綻んだ。
「そういう妖怪らしさって
嫌いじゃないのよねぇ、私」
妖怪は妖怪らしくあるべきじゃないか。
ぬえは少し考えながら、槍の穂先をくるくると無意味に回す。
アマノジャクの矜持を守った上で、正邪に協力をする方法はないだろうか?
「あ、そっかそっか……
ふふふ、いいこと思いついちゃった」
ぴたりと槍の穂先を止めたぬえの顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。