遠路はるばるとやってきた地上人を、純狐じゅんこはもてなすことに決めた。 月の賢者がここまで送りつけた人間を相手せずに返すのは、礼儀に反するからだ。   「私の名は純狐じゅんこ。月の民に仇なす仙霊である」   訪れた地上人と言葉を交わし、自らの存在を名乗る。
そして威厳を示すように、名も無き力を周囲に解放した。
(嫦娥じょうが。次こそお前を殺してやる)   この力が嫦娥じょうがに届く日はいつか来る。ただ、それが今日ではないだけの話だ。
純狐じゅんこの尾から、力が天へと立ち上る。 そこに存在するのは、純狐じゅんこの持つ一切の穢れのない純粋な感情。  
怒り、悲しみ、恨み、殺意、復讐心。  
揺らぐことのない、混じり気のないそれは、あらゆる制限を超越した原初の神の力に等しい。  
「見せよ! 命を賭した地上人の可能性を!
そして見よ! 生死を拒絶した純粋なる霊力を!」
――今よりもずっと昔の話。   無名の存在は自らを純化した後、『純狐じゅんこと名乗った。
それが生来のものか、純化した後に自らつけた名かは分からない。
だが、そんなことはどうでも良いのだろう。
  それは復讐を願う女の名であり、 感情さえも純化した彼女に残る、唯一の名なのだから。
無名の存在の持つ、一つの呼び名。
それは復讐者という器であり、感情という枷を与える名。
  「倶ともに天てんを戴いただかずとも、お前を――」
  嫦娥じょうがを殺す。
ただ純粋にそれだけを願う、永い復讐の旅路……それは、今も果てることはなく。